フォーラムにさきだち取材も受けた

疲れているとかいいながら…

福祉フォーラムに先立ち、KNBの取材を受けた。取材に来たのはパン屋OPEN時に何度か取材に来た若い女性であった。
そのときも彼女の質問に違和感を感じた私。


彼女は自分の作ったストーリーに合致する答えを私の口から引き出すために、何度も何度も質問を重ねる。しかし私の答えは彼女の作ったストーリーとはかみ合わない。そもそも意識が違うのだ。
彼女は私のしていることを「人助け」だと思っている。
「どうして助けようと思ったのですか?」と
ブッブー
この時点ですでにかみ合わない。
「いや、助けようとかそういうのではないですよ」


私は「人助け」ではなく「仕事」として、このことに取り組んでいるわけで
私のやりたいことは社会問題の解決なわけで、人助けなどではない。
しかし、そこのところがうまく彼女に伝わらないし、理解できない。
伝わらないものは理解もできんか…


あれから半年たち、私のおかれている過酷な現状を見てまたも同じような質問をする。
「どうして見捨てないんですか」
見捨てるってアンタ、そういう問題ですか?
「助けてあげる」「見捨ててしまう」それは何か大きな間違いなんではないですか?
どうしてこういう考えの人にインタビューを受けなければいけないのか…
どうしてこういう考えの人に、自分の意思とかやろうとしていることを上手く伝えることができないのか…
相手をしながらグズグズ考えてみるけれど、若い彼女には何にも伝わらない。
それは若さゆえなのか、いろんな経験を経たうえでも一生話の通じない人なのか…???


取材の内容は昨日(金曜)夕方のローカル局のニュースで流された。たくさん撮られたインタビューの中から彼女のストーリーに合致したコメントだけがうまく編集されている。


私「私以外のNPOのメンバーは、みなさん障がい児のお子さんを持っているわけで、このことを一生放りだすわけにはいかないのです。そういうことを考えると、私がここでこれを放り出すわけにはいかないのです。」


ん〜ここだけ使うかなぁ
これではなんだかすごい美談ではないか
私はむしろ「これが私の仕事です。仕事というのはいい時もあれば悪い時もある。そういいうものじゃないですか?」こっちの方が核である。
粛々と淡々と仕事をする人こそがカッコいい。そういうカッコいい人に私はなりたい。


「どうして、パン屋をはじめようとしたんですか?どうしてNPOの立上げに加わったんですか?」
「ん〜、自分にはそういう社会問題を解決する能力があると、勝手にカンチガイしたんでしょうね…」
この回答はボツ
「今にして思えば、もっとよく考えればよかったんですが…」
当然ボツ