取捨選択できる

メイトのM君は、こちらの質問に対してなかなか真実の返答をしてくれない。
「こんな風に言ったら怒られるかな?」とか
「ここはこう答えておくべきなのかな」とか
「これはバレたらやばいから、隠しておいた方がよさそうだな」とか
余計なことを考えてしまう。(たぶん)
でもって、そういう余計なことを考えている時は、いかにも「余計なことを考えてますよ」といった顔付きでしばし考え込み、おもむろに、ミエミエのウソやごまかしを言ってしまうことが、ままある。


作業内容の確認のように重要なこともあれば、休み明けに「昨日は何してたの?」といったような世間話のこともある。
でもって、「なんか違うこと言ってるぞ」と感じたら、質問の仕方を変えてみたり「だったら、これはどうなの?」とさらに掘り下げて聞いてみたりする。


すると彼は
「あっ!さっきの答えはまずかったんだ。だったらどう言えばいいんだろう」
と、さらにウソやごまかしを重ねていく。
すでに彼の中では真実はどうでもいいことで、波風のたたない受け答えが平和に完了することだけが願いとなっている。


そうではなくて
そうではなくて我々スタッフは、あくまでも真実が知りたいのだった。
「あのね、本当のコト言ってね、怒らないから」
と言って辛抱強く問いたださないと、なかなか真実には巡り合えなかったりする。
結局、本当のことを言って、それに関して怒られるということは無くても
「最初っから本当のことを言いなさいよ。もぉ、メンドクサイわね〜」みたいな怒られ方をすることになったりして、それはそれで矛盾かな…とか、思う。


で、彼のこの妙な自己防衛反応には時々うんざりすることもあってスタッフ同士でも「どうしたもんやら」的な会話になる。
ここからがスタッフそれぞれの見解の違いになるのだけれど
「あの人は、ああいう風にちゃんと自分の言いたいことを取捨選択できるのに…」
とTさんが言ったので、私はビックリした。


「取捨選択!?ちっともできてないじゃないの!」と、私
「えっ、そうですか?自分の言いたくないことは言わないし、言いたいことしか言わないじゃないですか」


う〜ん。それって自分の気分や考えに忠実だけど「ちゃんと取捨選択している」と言えるのだろうか。
社会生活が円滑に行くことが前提での取捨選択ができてこそ「ちゃんと取捨選択している」と言えるんじゃないのかな、と私は思う。
「ちゃんと」という意味はそういう意味だと思っている。
だから私は「ちゃんと取捨選択している」とは言えないと思うな…と、Tさんに説明した。
(あいかわらず、ややこしいハナシだ)


Tさんは、私の観点には納得したようだけど
「ふぅ〜ん…でもね、恥ずかしいことでもなんでも隠すことを知らずにありのままにしゃべるしかない人からみると、自分の意思でしゃべれるんだから…」
とのこと。


なるほど…
Tさんには重度の知的障がいの娘さんがいる。
その娘さんと比べると、ウチで働いているメイトさんはいろんなことが「ちゃんとできる」ように見えるのだろう。
でも、私からみると「できる」のハードルはずっと高くなる。
Tさんのように「ちゃんとできてる」と判断してあげた方がその人を肯定したことになりいいことなのかもしれない。
でも、就労の場で自己実現していくのであれば「もっとできるようになるよ」ともう少し高い目標を掲げて引き上げていくことも大事なことのように思う。
…とは思うけど、その人が本当に「もっとできるようになる」のか、それは無理強いなのか、そこのところの自信が揺らいでいる。
いや、もともと自信なんかないのだけれど。


今回もタイトルとは違った方向にハナシが進んでしまった。