養護学校の進路研修会−その3−

さて残り3件であるが、この春に卒業した3人が地元の作業所に通って「がんばっている」様子が紹介された。
一口に作業所といっても施設区分は「知的障害者更生施設」「知的障害者授産施設」「障害福祉サービス事業所」とさまざまで、正直なところ私にはその違いはよくわからない。(勉強不足ですみません)
しかしこの「更生」というのが私の中ではヒジョウにイメージの悪い言葉で、大辞林によれば「生きかえる」とか「役に立たなくなった物を再び役立つようにすること」とある。なんなんだ、なんなんだ!最初っから障がい者をマイナスイメージでとらえているではないか!「生きかえる」ってどうよ〜
どうもこの「更生施設」という呼び名は嫌いだ。
(一応、「障害者が能力を活用して社会経済活動に参加すること。」という意味もあるらしいけど)


で、この先輩方の仕事の内容は、リング状のプラスチック部品を筒に通していく、クリーニング屋さんから届く洗濯済みのバスタオルをたたむ、リサイクル用のアルミ缶つぶし、などなどであった。それぞれが、その能力の中でいっしょうけんめいがんばっている様子が紹介された。彼らの場合はインタビューの受け答えも限られ、お母さんが答える場面が多い。
作業は単純なものであるが、仕上がりが目に見えてわかるから達成感などもあるのだろう。職員さんの励ましや、褒め言葉などに支えられ徐々に仕上げられる数が増えてきているらしい。また、缶つぶしなどは本人が好きな作業であるらしく喜んで取り組んでいるとのこと。しかし単純作業であるから、給料(工賃)も安い。その給料の意味自身、はたしてどこまで理解できているのだろうか…


と、ここまで来るとまた私はぐだぐだ考えてしまう。この人たちには「働く」ということの認識はあるのだろうか?N君には、仕事には「辛いこと」や「責任」がある、だけど一生懸命やっていけば嬉しいことや楽しいこともある。だからがんばってやっていこうね…ということへの理解を求めていたのだが、この人たちにそこまでの理解を求めるのはたぶん無理だろう。無理だろうけど、毎月わずかでも収入があるというのは大切なことだ。そして何よりも、毎日なんにもすることがないよりは、あった方がいい。「働く」ということの意味合いがN君とこの作業所に通っている人たちとでは、根本的に違うのだ。


それぞれの作業所の職員さんの話もなかなか興味深いものがあった。「ボーナスが1.5ヶ月出る」というところもありビックリ!もちろん、その元となる月収はわずかなのであろうけど、「ボーナス」という響きはうらやましい。私もほしいぞ!そしてどの作業所でも、仕事そのものよりも、本人たちのことをまず第一に考えていろんな配慮がなされているようである。それぞれのペースにあわせ、それぞれが落ち着いて自分らしく過ごせるように、そしてそういう毎日の中から少しでも作業が上達していくように、そういう配慮がなされている。
アルミ缶つぶしの作業においては、肝心の空き缶収集に苦労されているようで、一定量の缶をつぶしたら次の人と交代し、しばらく待ち時間が発生するというあんばいらしい。すると待っている間の暇つぶしが必用になってくる。紹介された彼は細かい作業が好きなようで、大きな木製のビーズ通しをして過ごしている。ただしこれはあくまでも「遊び」であって「仕事」ではない。ただそれをすることが楽しみであり、気持ちが落ち着くのだ。ここで私は、またまた妙な気分に…
というのは、仕事である「空き缶つぶし」も遊びである「ビーズ通し」も、彼の中では同一線上のことであろうと想像する。どちらも楽しいことであり、仕上がることが喜びにつながる。だけど一方は収入になり、他方はなんの金銭的価値はない。そしてその結果の違いが彼にはたぶん理解できない。何がどうということではないが、うまく説明できないもやもやっとした気分が私の中に残った。


しかし、もやもやしているのは私だけで、先生が紹介する内容はどこまでも明るく楽しげだ。実際、本人もお母さんも現状にとても満足していて「毎日が楽しそう、辛いことなどなさそうです」(お母さん談)。会場内はまたしても「いいね、いいね」という雰囲気が満ちている。


続きはまた…