ダイバーシティって多様な人材を生かすっていうことなの?

discourさんのここを読んでからずっとダイバーシティのことが頭の隅にあった。(古くてすみません)
そこで紹介されていた基礎知識(「ひろげよう人権」というタイトルのHPに掲載されてた)
や、日系ビジネスオンラインの「ダイバーシティーマネジメントに取り組む女たち」も読んでみた。
どうやら日本の先進的企業ではこぞってダイバーシティマネジメントに取り組んでいるらしい。ダイバーシティとは前出の基礎知識によれば「外見上の違いや内面的な違いにかかわりなく、すべての人が各自の持てる力をフルに発揮して組織に貢献できるような環境をつくる」こととある。


私が所属するNPOは「知的障がい者の就労」に取り組んでいるので、ダイバーシティの概念には知的障がい者も当然含まれるのだろう…と、最初は思った。


しかし、その基礎知識を読み進むと、「世の中にはさまざまな人がいます。人種、性別、年齢、身体障害の有無などの外的な違いだけでなく、価値観、宗教、生き方、考え方、性格、態度、などの内面も皆違います。『こうあるべし』と画一的な型にはまることを強要するのでなく、各自の個性を活かし能力を発揮できるような組織をつくる。それは、個人にとってプラスであるだけでなく、組織自体にとっても大きなプラスである。」


ここでは「身体障害の有無」を、挙げてあっても、「知的障害」や「精神障害」は無視されている。


で、「ダイバーシティーマネジメントに取り組む女たち」のシリーズも全部読んでみてわかったことは、ダイバーシティ概念のポイントは「各自の持てる力をフルに発揮して組織に貢献できるような環境をつくる」ということなのだ。そしてそれは「個人にとってプラスであるだけでなく、組織自体にとっても大きなプラスである」
先進企業がこぞって取り組んでいるのは企業側に大いに利するところがあるからなのだ。充分に活かされていない潜在能力の高い従業員をいかにして存分に働かせるか、ということらしい。そしてその従業員はもっぱら「女性」ということなのね…


たぶん私も勤めていた1年前ぐらいなら、「ふむふむ」と思ったことだろう。なんといっても自分もそのターゲットの範疇なのだし、自分自身いろいろと体験したり思うところもあった。
しかし今は知的障がい者の雇用問題に取り組んでいるわけだ。
そういう立場でこのダイバーシティをめぐる状況をみると「なんだかなぁ」と思ってしまう。


まぁもともと「人材」の意味は「才能があり、役に立つ人。有能な人物。」ということらしい。知的障がい者だと企業にとっては「役に立たない」とみなされているのか…
もちろん障がい者なのだから、できることも限られるし覚えるのもゆっくりだ。企業にとってはありがたくない存在かもしれない。経営効率を考えると従業員としての視野にははいらないのだろう。
それに今はワーキングプアだのニートだの、社会的には障がい者の雇用よりも優先順位の高そうな問題がありそうだ。


いつも思うけど、「住食足りて礼節を知る」ではないが「住食足りて福祉を知る」なのかなぁ
女性や外国人や若年層や、それから有能な身体障がい者のみなさんの個性を活かし能力をフルに発揮してもらって、企業経営が安定して、そのあとにならないと知的障がい者の働く場は確保できないのでありましょうか


やはりダイバーシティノーマライゼーションとは根本的に違うのだなとしみじみ思うのでありました。