明日に架ける橋

いつになく、まったりとした夜。テレビから「明日に架ける橋」が流れ出した。思わず正座。実は、私が死んだらお葬式に流す曲として家族に指定してあるのが「明日に架ける橋」なのだ。番組はNHK「プレミアム10 世紀を刻んだ歌『明日に架ける橋〜賛美歌になった愛の歌』」だった。


1981年にセントラル・パークで開かれた再結成チャリティコンサートがテレビで放映され、東京の狭いアパートで一人、夕食を食べながらそれを見ていたことを思い出した。私は地元の学校を卒業し、地元の会社に就職するはずだったのに、思いがけず本社採用になり迷う暇もなく東京で一人暮らしを始めていた。自分で選んだり、望んだりしたわけではないけれど、なんとなく成り行きでそういう風になってしまった。初めての東京での一人暮らしは刺激的だったし、仕事をこなすのにも一生懸命で緊張しながら毎日を過ごしていた。めまぐるしく変化していく毎日をそれなりに楽しんいる、と自分では思っていた。でもアート・ガーファンクルが「明日に架ける橋」を朗々と歌い始めると、緊張の糸がプツンと切れたように夕食のフォークも止まってしまった。なんでかその時に食べていたスパゲティの味まで覚えている。だから、箸でなくフォーク。画面には訳詞が流れている。暮れなずむセントラル・パーク。50万人の聴衆も息をのんで聞いている。
歌は3題目まですすみ、「銀色の少女よ出航するんだ ついに君が輝く時が来た」と画面に流れた時に、なぜか全身身震いした。そして「もし友達が必要になったら 僕が後ろから船を漕いでついていこう 荒れた海にかかる橋のように 君の心に安らぎを与えよう」で、だくだくだくだく…と涙が次から次と…そして、ガマンしきれずについには声をあげて泣いていた。


泣くだけ泣いたら、なんとなくスッキリした。どうして泣けてきたのかわからない。わからない、というよりも説明できない。ただ、その頃の自分を思い出すたびに、そんな自分をぎゅっと抱きしめてあげたい気持ちになる。そういう、かわいい頃もあったんだ…でも、だぁれも、そんなけなげな私を見ている人もいなかった。そして、今こんな話をしても、みんな半信半疑になるんだろぉなぁ〜


もう、寝よっか