がっくりする…

毎朝、メイトのAさんが出勤してくるとまず湯沸しポットの水を入れ替え、電源を入れるのが日課だ。
しかしその日の朝は、来るなりにいつもと違う仕事を言いつけられ、つい湯沸しポットの準備を忘れてしまった。
10時になり、メイトの休憩時間になった。
健常スタッフは休む閑なくノンストップでパン焼き作業続行中。
なので、いつもメイトだけのんびりとした雰囲気がただよう。
インスタントコーヒーをいれようとするも、お湯が沸いていない。
しかもその事実になかなか気がつかないメイトたち。
「あれ?お湯わいてないの?ポットの準備してなかったのね」
とスタッフに声をかけられてやっと気付く。
まぁ、ここまではよしとしよう。Aさんが忘れていたこともしょうがない。


しかし、このあと。


誰もポットの準備をしようとしないのだ。
スタッフの方は忙しいので、それ以上の面倒はみない。
というか、忘れていたことにみんなが気付いたんだから、当然誰かお湯の準備をするだろうと思い込んでいた。
でも、メイトは誰もそんなことはせず、休憩時間は終わり、仕事は再開、時間は流れお昼の休憩になった。
スタッフの方はゆっくり温かいものを飲む閑もなく、またまたメイトだけ昼食にとりかかる。ここでも誰もお湯がわいていないことに気付かない。気付いていないというよりは、気にとめていないというべきか。
電源のはいっていないポットには、昨日のお湯が冷めたまま入っている。
そしてその冷え切ったお湯(というか水)でお茶をいれようとしているのだ。
カップには粉末のお茶がとけることなく水の上に浮いている。
そのアリサマがたまたま私の視界に入ったので
「あれっ!何飲んでるの?それ、水じゃないの?」
と、ビックリ
私がビックリして大きな声を出すと、M君はそのことにビックリして少ししどろもどろになる。
「はい、いえっ、あのっ、お茶です。いえ、ぬるいです」


「さっきのままなの?誰もお湯の準備しなかったの?」


3人のメイトは顔を見合わせるだけ。
というか、自分は関係ないことのように、顔を見合わせることもしないメイトもいる。
なんというか、これにはかなりガックリきてしまった。
わかるとか、わからないとか、できるとか、できないとか
そういうこと以前に、ナニゴトにも受身の習慣にガックリしてしまった。
家庭ではたぶん、お母さんやその他の家族が身の回りのあれこれを世話してくれているのだろう。自分のことを自発的にすることがなかなかできないでいるのは、日々の作業の様子や休憩時間の過ごし方をみているとよくわかる。
言われたらする。言われなければとりかからない。
注意されたらうなづく。注意されなかったら、何事もなかったように全てのことは流れていく。
全てのことがまるでヒトゴトのようなのだ。


メイトが失敗したり、理解が不足だったり、そういうことは仕方がないと思っている。ある程度はそんなもんだと。
でも、それを指摘されたり、教えられたりしても、なかなか自分の失敗を自分でとりかえすことができない。失敗に気づき、軌道修正するということはかなり高度なことなのだろうか。
できない、わからない、という以前に、物事に取り組む積極性とか、自主自立といったことを求めるのは無理なハナシなのだろうか…
「キミタチはお客さんではないんだよ。従業員なんだよ。休憩時間を快適にすごすためのあれこれは自分たちでやりなさい。」と、私は言いたいのだけど、それって無理難題なことなのだろうか?
なんかこれって、単なる生活習慣なんだと思うのだけど、どうなんだろ