職業能力って…?

ウチのパン屋では4名の知的障がい者を雇用している。
ウチっていうと家業のようであるが、ウチのNPOでは、という意味。
ウチのNPOと言っても自分は理事長でも代表でもないのだけれど
でもって、その障がい者のことはメイトと呼んでいる。
知的障がいも、福祉も、パン屋も、商売も、何もかも知らない中でパン屋をまかされてもう1年たった。最初は日々の営業だけで精一杯だったけど(今だってそうだけど)この頃は4名のメイトのそれぞれの特徴に敏感に反応してしまう。


世の中には「知的障がい者はマジメにもくもくと仕事をする。」と、変な先入観を持っている人がいるだろう。そして、ここの職場はみんな協力しあって助け合って和やかに仕事をしている、桃源郷のようなところだと想像している人もいるだろう。


しかし、現実は違うのだ。
メイトは単純作業に飽きてしまうこともあれば、めんどうな作業などは、やっているふりをして他の人が片付けるのにまかせてしまうこともある。
スタッフはあまりの忙しさに、メイトを厳しい口調で追い詰めてしまうこともある。


メイト4名は療育手帳での判定は中度の障がいを持っている。
しかし、これとは別に重度障がいという職業認定がおりている。
つまり日常生活ではそんなに困ることのない程度の障がいであるが、就労した場合は障がいの度合いは重度ということだ。身体障がいの場合はこいう2重構造にはならず、日常生活における障がいの度合いと就労した場合のそれとは同等である、とみなされているらしい。


いったいこれはどういうことか?
それは実際に仕事の指示をだしてみるとよぉ〜っくわかる。
指示した仕事をその通りにできない、ということがある。
原因はさまざま
指示の内容がキチンと理解できていない、けれど自分では間違いに気づかず間違ったことをやってしまう。
作業内容が未体験のことで、想像したり質問して確認したりできない、けれどテキトウにやってしまう。
こだわりが強くて、指示した内容とは違うことをしたりする。
やり始めるけれど、途中で指示された内容を忘れてしまう。
などなど
いずれも日常生活の中であれば、さほど問題にならないことでも、仕事であれば大なり小なり問題になることである。
指示の仕方がまずい場合もある。
この場合は作業結果や、そのときのメイトの様子を見て指示の仕方を変えたり工夫が必要となる。
ここが難しいところで、「指示の仕方がどうまずかったか」はその時、その相手によってさまざまに違ってくる。そしてウチのパン屋は忙しい。できることなら最短の指示で最高の結果を要求したい。極端な話「コレをアレして」ですませてしまいたいことがほとんどだ。実際、スタッフ同士はそういう阿吽の呼吸で突っ走りながら仕事をこなしている。


うえにあげつらった「できない」ことの他に仕事の遅さもある。
最近考え込んでしまうのは、こういう「できない」」ことや「遅い」ことの原因だ。
これは「障がい」のためだからしょうがないことなのだろうか?
それとも、本人がこれまで育ってきた中で培われた習慣とか性分とか、そういうもののせいだろうか?
雑多な作業のそれぞれを未体験でここまできたせいなのかも?
それともそれとも私たちスタッフの接し方が悪いのか?
根気よく適切な指導を行えば向上していくものなのか?
そもそもここの作業内容に本人の能力、特性がアンマッチなのかもしれない…


現場で感じることは『「障がい」のためだからしょうがない』ということは案外少ないのではないかということだ。
たとえば、仕事に対する積極性ということ
メイトは自発的に動くということがなかなかできない。
それは、休憩時間にお茶を出すとか、自分がこぼしたお茶を拭くとかいう、本来仕事ではない簡単なことであっても
たぶん日常的にいろんなことが周りのお膳立てによって成立しているのだろう。お膳立てをするのは、家族だったり、養護学校の先生だったり、一般社会だったり。お膳立てをせずに、本人の自立を促すというのは、大変な労力、忍耐、時間が必要だということはわかっている。
しかし、日常的なお膳立ての積み上げが、ナニゴトに対してもお客様的な態度を作り上げてしまっているようで
そしてまた雑多なことの体験をせぬまま大人になってしまったようで


先日も休憩の時間にお菓子を切り分けるということを、それまで手を出したことのないメイトに切るように促してみた。
だまってナイフを受け取り、カットボードの前に立ってはみたものの、なすすべもなく黙って立ち尽くしている姿があった。
基本的にメイトは時間通りに休憩を入れるけれど、その間も我々スタッフは作業を続けていることが多い。そのときもそうで、お菓子は切りわけられることなく、ただ静かな時間が流れているだけだった。そのことに気づいて「どうしたの?」と問いただすと、彼はこれまで包丁を使ったことがないという。そして自分からは「できません」とか「どうすればいいんでしょうか」とか言うこともできない。こちらからの問いかけには答えるけれど、自発的にそういうことが言えないのだ。言えないことはスタッフがその気持ちを汲み取ってやる、ということはできないことではない。しかしそういうことの積み重ねがますます自発的に物言うことができない彼を作り上げていくことになる。


長くなったので、いったんここまで


実はid:satomiesさんの4月16日の日記『泣きそうで困った』を読んでいろいろ感じることがあり、何か書かねばと思ったのだけど、何を書きたいんだろうか自分は…?