「NPOで食う」〜ミッションを継続させるために〜その2

NPOはミッションという言葉が好きだ。
ナニゴトも「ミッション」だと思い歯を食いしばってがんばる。「ミッション」だから途中でやめてはいけない。「ミッション」は達成しなければいけないのだ。スパイ大作戦のように。


などという暑苦しいのは自分はイヤだ!
以前に一度書いたけど、自分はこれを「人助け」だと思ってやっているわけではない。だからと言って「ミッション」というほどの深い思い入れがあるわけでもない。
要は自分にとってこれはオシゴトなのだ。
ミッションは神聖だが、仕事も神聖なものである。
永年、情報産業に従事してきた自分にとっては、仕事というものは「仕様、納期、予算」を与えられてそれを達成するものである。
NPOであってもそれは同じ。職場が株式会社から特定非営利活動法人に移っただけのことである。
さらに言えばSEという職業は「前提」「現状」を提示されてその解決策を考えるのが仕事だ。だからどんな問題であっても解決策を見出そうとするのは職業病(SEとしての)なのかもしれない。
とにかく、そういう風に「仕事」だから「責任」を持って成し遂げ、それに見合った「報酬」を得る、それこそが「食ってく」ということなのだと思う。
(でも、今はその「責任」を果たせないでいる。あきらかに、自分の力量不足のために。)


講師・パネラーだった能登さんは「ミッション」という言葉を度々使いエネルギッシュに話された。たぶん、能登さんはいろんな思いがあってNPOを立ち上げたんだろうと思う。NPOの代表と、事務局であるワタシとの微妙な立ち位置の違いが「ミッション」と「仕事」に分かれる所以でもあると思う。
また、ウチのNPOの場合は立上げのメンバーはワタシ以外はみんな知的障がい者の親である。「ミッション」という思いはあるんだろうか?そういう話はしたことないのでわからない。それよりも何よりも当事者としての切実な思いはあるだろう。自分が生きてるウチに少しでも前進させたい、みたいな…
ワタシはコレ(知的障がい者の就労問題)が「障がい者の家族の問題」ではなく「社会問題」であると思っている。なので、「社会問題の解決」を自分の仕事と位置付けてNPOの専従職員となったわけだ。だけど、当事者である親御さんたちの切実感は想像できても自分の感覚としてそれほど強くあるわけではない。
なんというか、自分は恐山のイタコのように、そういうNPOのメンバーの思いを伝えたり、解決策を具現化していくのが役割なんだ。…と、思う。
なんか、思う、思う、思う、ばっかりだな。


パネルディスカッションでは本田さんの上手な進行、問いかけに乗せられて↑のようなことをほんの少ししゃべってしまった。もちろん、その場ではいきあたりばったりで整理された内容ではなく、その場のノリみたいなとこもあったけど
あらためて思い返してみたら、自分の思っていることは、こんな具合なのかな〜と、ダラダラ打ってみましたとさ