[NPOとか]大掃除はしたものの…

年末年始、どうなることかと思ったけど、はや新年も5日になった。
暮れはパン屋は27日まで営業して28日は大掃除。
オーブンの火を落とし、看板を引っ込めないと掃除もままならない。
健常スタッフもくたくただし、普通のパン屋さんであれば31日まで営業するところを、簡単にあきらめてしまった。
実際、28日の掃除もレロレロだった。
ワタシとM本さんと、あとメイト4人。
しかしワタシは金融機関の最終営業日ということで、何度も入出金をしに外出。掃除はほとんどM本さんにまかせっきりということに。
M本さんは忍耐強かった!掃除ぐらいは簡単な仕事と侮っていてはいけない。イチからジュウまで指示しないと、メイトはすぐに棒立ちになったり無意味な動作を繰り返したりしてしまう。「あなたはここ」「君はここ」と拭き掃除の場所を区分けして雑巾を手渡ししてなんとなく掃除しているような雰囲気にはなるけれど油断大敵。どうも掃除の目的が今ひとつよくわかっていないのだ。目的というか、床をどういう状態にしなければいけないのか、がわかっていない。汚れている箇所の認識がうまくできない。なので、汚れが落ちていくということがうまくつかめない。雑巾がけの要領がよくわからない。力のいれかたがわからない。そして、あきらかに掃除じたいが嫌いな様子のメイトもいる。


やれやれ…
ずいぶん時間をかけたけど、満足な仕上がりにはほど遠い。
雑巾の上においた手のひらに上手く力をかけることができなくて、ただ撫で回しているだけのように見える。「そうじゃなくて、もっと力をかけて…」と指導してみても無駄な力はかかるけど、うまく汚れを落とすことができない。
「終わりました」と言われてチェックしても、なんだか拭き跡がムラになっているし粉の跡がのこってところどころ白っぽい。「ここがまだ汚いよ」と指さしてみても、どもピンとこないようだ。
う〜む。掃除がこんなに難しいとは予想外。


ただ1人、何事も力任せにするクセのあるMくんだけはサササと、きれいに窓を拭き上げていた。普段の彼は油断するとパンをぎゅっとつかんだり、せまいところに無理矢理パンを押し込んだりと、注意されることが多い。しかし、清掃作業は他のメイトより得意そうだ。
Aくんが落とすことのできなかったセロテープの跡を簡単に拭きとってくれて、なんとなくほっとした。
そうこうしていると、近所のお蕎麦やさんから出前が届いた。仕事納めなので一応お昼はソバということに。
なんとなく満足のいかない仕上がりだったけど、これ以上やっていても無駄なようだし、メイトもかなりイヤケがさしてきてるようだしここらで掃除はおしまい。
「それじゃこれで終わりにして、お昼にしましょう」
と私が言うと、ほっとした空気がただよい


「キレイになったね」と、Aくんが


う〜ん、わかってるのか?たぶん、わかっていないのだと思う。
キレイになったかどうかという判断が彼にはできていない…と、思う。
だけど彼は雰囲気に合わせたことを言うのが得意。
おだやかな彼の口調を聞いてなんかどっと疲れを感じてしまった。
まぁ、しょうがないか。


お昼を食べ、最後の挨拶をしてメイトが帰りM本さんと二人になった。
遣り残したところを二人でキレイに仕上げていく。
「なんか、疲れたね…」と、私
「まぁ、こんなもんでしょう。あれ以上を要求しても無理ですよ。最初から、こんなもんだと思っていないと」と、M本さんは達観した風


う〜ん、そんなもんなのか
私の要求が高すぎるのか?
私の中でイメージするパン屋さんは、すみずみまでピカピカに磨き上げられて、ガラス窓も曇るところなく輝いている…そんな感じ。
しかし、現実はほど遠い。一応ゴミは落ちていない。不衛生なところもない。しかし、窓ガラスには拭き掃除したあとがムラムラと残っているし、指のあとも残っている。室内の隅の方に、わざと拭き残したかのような箇所がところどころにある。
でも、掃除する前よりはキレイになっている。
これでヨシとするのか?
私の思いとしては、
障がい者だから時間がかかってもしょうがない
という気持ちはある。


でも
時間がかかってもしょうがない
 ↓
時間をかければちゃんとできる


と、いうものでもない。
そういうことが、私の中で不満になりつつある。
最後の挨拶の「ご苦労様」という言葉も、本当に労いの気持ちから発せられたものではない。
そういう形だけの挨拶を聞いて帰っていくメイトは、それほど疲れた様子もなく開放された喜びで晴れ晴れとした表情をしている。
あとに残された私とM本さんの疲弊した顔とは対象的に…


結局、二人では窓ガラスをピカピカに磨き上げる余裕もなく
「こんなもんでしょう…」というM本さんの言葉を飲んでイイカゲンのところで引き上げてくるしかないのであった。


課題は多い