年代が若返っただけぢゃ、世代交代にはならないんだ…

20年ぐらい前に読んだ週刊誌(ポストだか現代だかサラリーマンのオヤジが読むようなやつ)の連載コーナーに財界の重鎮みたいな人のインタビューがあった。
大きな顔写真がついていて肩書きやなんか書いてあるけど、あまりよく知らないお方であった。でも、なんか大きな会社のエライ人だったような…と、あまり具体的なことはおぼえていないんだけど、内容ははっきりおぼえている部分がある。


(以下、言いまわしや語句などの表現細部はテキトですが、ワタシの記憶の中にとどまってるあらましです。)
その人は戦中派だった。戦時中に軍人教育を受け母国の勝利だけを信じていたが、出征せぬうちに敗戦を迎えた。終戦を迎えるまではにっくき「鬼畜米英」を撃沈することが自分のミッション(こういう言い方はしてなかったけど)だと信じきっていたが、戦後はゼロ戦を飛ばすことはできなくなった。そのかわりに経済界で「鬼畜米英」を撃ち落すためにがんばって今までやってきた。(ここのあたりはハッキリと「鬼畜米英」と言っていた。それだけに衝撃的で記憶に留まっているんだと思う。)


いや、ビックリしました。その人にとっては、「戦争をした」ことが過ちなのではなく「戦争に負けた」ことが過ちなのです。直接そういう言い方をしてはいませんでしたが、そういう風な思いをもっているということがアリアリと伝わってくる内容でした。「戦争をしてしまった」ことの反省はこれっぽちもなく(まぁ、戦争責任者ではないわけだけど)「アノ戦争においては不本意な結果におわってしまった。しかし我々の戦争は形を変えて続いているのだ」という思いがゴーゴーと煮えたぎっている。そして自分はその戦いにおいては勝者なのだという自信。


こういう思いで日本の政財界をしょっている人は多いのだろう…ということに、その時初めて気付かされた。年代的にもそういう人達が日本の中心、根っこをにぎっているのだ。そしてその思いは変わることなどありえない。もうコレは、何が良い、何が悪いという話ではなく世代が交代しない限りは世の中は変わらないんだなぁ…と、漠然と思った。
その頃の私はまだまだ純情な20代で、それまで見聞きしていた「戦争はイケナイことだ(だから放棄したんだ)」「世界平和に貢献しなければいけない」というような論調をだれもが素直に受け入れていると思っていた。実際、それまでこのように「鬼畜米英」などという言葉を平然と連呼するような人は見たことも聞いたこともない。「戦争」を知っている世代の人たちは、みなある種の痛みを持っていて「なぜ、あんなことをしたのだろう…」と悔恨にくれているのだとばかり思っていた。しかし、そうではなかったのだ。政財界の中心にいて日本の舵取りをしている人達の多くはいまだに「鬼畜米英」を敵対視し撃ち落とすことに躍起になっているのだ。このインタビューに応じたおエライさんだけがそうではない。この人のゆるぎない受け答えを見ていると、この人の周りにいる政財界の重鎮の方たちのスタンスはこれがポピュラーなんだ。


で、安倍さんです。初の戦後生まれの総理大臣でありますが、とても「世代交代した」というカンジがしない。むしろ、逆行しているカンジ(まさしくバックラッシュ!)。戦前の古い価値観を捨てきれず、いろいろなことの良い、悪いの判断はウヤムヤにしてただただ「美しい日本」を懐かしむ、そういうリッパな方々に囲まれて純粋培養されていたお坊ちゃまなわけだから、生まれだけは戦後でも育ちは古い世代と一緒だったわけで、単に時代が進んでもちっとも世代交代にはならないんだということに改めて気付かされた。気付くの、遅すぎ!!!


早寝、早起き、朝ごはんで世の中よくしていこうってんだから、なんだかなぁ〜