立山登山

M本さんちのケンちゃんは、ウチの子らが通っていた小学校の6年生。
放課後になると時々、お母さんの様子をみにパン屋に来る。
「こんにちわ、おじゃましていいですか」と、あまり抑揚のない声で挨拶をし言うだけ言ったら返事も待たずにズカズカと入り込んでくる。
「まだダメです!誰も『いいですよ』と言っていません。」
お母さんの厳しいチェックがその都度入り、最近は戸口で許しを待てるようになった。
ケンちゃんはピタゴラスイッチと漢字が好き。
計算はできるけれど、文章問題は苦手。
時々、自分のお小遣いでパンを買ってお買い物の練習をする。
そんなケンちゃんが6年生が全員参加する立山登山へ行ってきた。
そうか、もうそんな時期か。
ウチの子らも6年生の時、立山へ行ったんだ。
そうだ、息子が行ったころなんか駄文を書いてみたんだっけ
あったあったこれだよこれ。テキストが残っている。
読んでみると懐かしい。
なくしてしまわないように、ここにうつしておこうかな

                                                                                      1. +


その日、私はいつもより1時間早く起き出し、息子のためにおにぎりを作った。いよいよ6年生の長男が初めて立山に登る日がきたのだ。この辺りのほとんどの小学校では、高学年になると立山登山をする。それは言わば楽しかった小学校時代から一つステップアップするための儀式のようなものだ。


 いつもの朝と変わらぬ朝食を終え、さあ学校へ行く時間だ。
出発の前に、隣に住む祖父母の家へ行き仏壇を参らせる。なんといっても、これは『儀式』なのだから、ご先祖様に守ってもらわねば。
 息子は仏壇の前にちょこんと座って
「バスに酔いませんように…」
などとぬかしている。なんと志の低い!
「ちょっと!今から立山に登ろうという人が、そんなお参りの仕方ってある?」
「じゃあ、なんてお参りすればいいがぁ〜?」
「こんな時はね『我に艱難辛苦を与え給え』って言うの!!」
「ふぅ〜ん ワレニカンナンシンクヲアタエタマエ…」
神妙に頭を垂れてお参りをしている息子の後ろで、私と夫はおかしいのをこらえるのに必死だった。
 チーンと鐘をならして立ち上がった息子は
「ねっ!今のなんて意味?」
「あれはねリョウチャン。どうか私をつら〜いメにあわせて下さいっていう意味やよ」
「エッ〜!!なんでそんなお願いせんなんがぁ???」
我が家の親子関係はこのように油断できないものなのだ。


 元気に手を振りながら出かけていったものの、残された私は心配でしょうがない。口ではいつもゲキを飛ばしている私も、初めての子供である息子に対してはびくびくオロオロしているのが実際だった。
 6年生は全員この日のために毎日体力作りのトレーニングを重ねてきた。それでも、おっとりとした競争心皆無のこの子に最後まで登りきる体力と気力があるのだろうか?それに軽い小児喘息のため毎日薬はかかせない。飲み忘れはしないだろうか?お弁当は多かったろうか?いや足りないかも…雨が降ったらちゃんとカッパを出せるのか?出したカッパはもとどおりしまえるのか…と、過保護なことこのうえない。


 仕事中もつい立山連峰を眺めたりと落ち着かぬ2日間を終え、参加者全員元気に帰ってくることができた。
 息子は、運転歴3年の危なっかしいこの母親のために山頂で交通安全のお守りを買ってきてくれた。立山のてっぺんまで行き、買ってきたものは唯一それだけだった。ちょっぴりジ〜ンときた。
 山頂の雄山神社はせまいので6年生全員が一度に登ることができない。1クラスずつ登り、そこでお参りをして降りてきたらしい。
「ねぇ、何ておまいりしきてきたの?」
「我に艱難辛苦を与え給えだよ!」
屈託なく答える息子
「おかげで降りてくる時 雨ふっちゃったぁ」
おばあちゃんからもらったお餞別はゲームソフトのために貯金したことは後になってわかった。私の運転する車に乗るとき、心優しいこの子はいつも腰が引けていることも、夫に言われてやっと気付いた私だった。


おしまい

                                                                                      1. +


まぁ、なんということもない文だけど、すでに成人を迎えた息子をみるとこんなこともあったんだなぁと、ちょっぴり切ない気持ちになる。
明日は仕事!ケンちゃんの登山の話しは聞けるかな?