それでも娘はぐれずにいる

id:satomiesさんの12/9日記:昨日を読んでいて感じたこと
そこには、障がいを持つお嬢さんとその弟さん、二人のお子さんと母親であるsatomiesさんの3人の関係が書かれていた。関係というか、要するに二人の子どもに母親は1人なわけで、でも手がかかるのは当然姉の方だから…しかし弟はそれをどう思っているのか、もんもん…みたいな(略しすぎか)


これと近いような、全然違うといえば違うような思いを、最近よくする。


私の場合、メイト(障がいをもつパン屋の従業員)と中3の娘の間にそれはある。私とメイトとの関わりもあるが、パン屋の仕事に忙殺されているということもある。
中3にしてはしっかりとした大人びた子なので、なんとなく放任にしてあるのだが、なおのこと母親としての罪悪感もある。
母親のやっていることを理解しているのか認めているのか、あるいはそんなに深く考えていないのか…帰宅するとたいていひとりで淡々と、勉強したり腹筋したりしている。
そして、私の顔を見ることもなく「ご飯は、何時?何作るの?」と夕食のことを聞く。お腹はすいているだろうけど、遅い夕食は毎日のことなのでもう慣れているのかあまりモンクも言わない。仕上がりが何時か聞くのは、その時間までの予定を自分なりに組み立てるからだ。宿題を片付けようか、それとも風呂にしようか、PCしようか、ちょっぴり何か食べようか…
最近は受験モードでそれに関わる学校からの連絡事や提出物、あるいは採点されたテスト結果など、親に見せるものも多い。ごっそと渡されるけど、とりあえずはご飯が優先だからテーブルの上に放置。
本当はすぐにでも目を通し、何か適切な言葉をかけてやりたい気持ちはある。けど、やっぱりご飯が先。もはや一刻の猶予もなし。息子や連れ合いも帰宅し、みな空腹で少し機嫌が悪い(ように、私には感じる)(もちろん、3人とも帰宅していて私が一番最後のこともしょっちゅう)


部活を引退した娘の土曜日は家で1人で過ごすことが多い。
もう、中3なんだから1人の楽しみというのもあると思う。
でも、あまりほったらかしもなんだかなぁ…と思い、時々パン屋の手伝いに連れ出したりしている。切実に人手不足で拝み倒して手伝ってもらうこともあれば、それほど人手はいらないけど母娘で同じ時間、同じ空間を共有するために連れて行くこともある。一応、手伝ってくれた時はバイト料というか小遣いを渡すことにしている。時間○○○円というふたりの取り決めで。わずかな額ではあるが、そのことにより彼女なりの規律というものが維持される。


経済的余裕が全く無い状態の私の財布から娘にこのバイト料を出すのはとてももったいないことなのだが、バイト料にしてはとてもわずかな額である。たぶん彼女が高校生なら全く相手にしてくれないだろう。
困っている時には、けっこういい働きをしてくれるので申し訳ない気持ちもあり
「ねぇ、バイト代少ないと思う?」
「ん〜少しね。もう少しちょうだいって言おうと思ってたけど
 でも、私…見てしまったが」
「何を?」


彼女は私の書き散らかした書類を目にしたことがあったのだ。彼女にしたら見たかったわけではなく、できれば見たくなかったものを見てしまった。
それは「最低賃金適用除外申請」の認可の書類。
そこにはメイトの時給額が明記してあり、それは娘のバイト料よりわずかに高い額だった。


「私がメイトさんよりたくさんもらうのはダメやよね…
 だから、これでガマンする」


ん〜
これにはなんか、ぐぐぐっときてしまった。


娘がそういう風に感じてくれているのに、なんだかホッとしたのがひとつ
救われたような気分になった。
そして私は、そんなことは全く頓着していなかったことに気づき、娘に対してなんだか恥ずかしい気分にもなった。
事実を言えば、メイトと中3の娘とでは作業能力は娘のほうが圧倒的に高い。
しかし、作業能力は低いのを承知で障がい者雇用のために始めたパン屋である。前提はそれなのに人手が足りない時に娘に手伝わせているという矛盾。
さらに言えば、私の経済状況が許せば娘に渡すバイト代はもっと高額なものになっていただろう。
娘に言われた一言でいろんなことを考えこんでしまった自分。
障がい者と一緒に働くということはどういうことなんだろう。
いろんなことがしっくりいかず、釈然とせぬまま毎日が終わり、毎日が始まる。手を止めて考えていると、この舟は沈んでしまう。なので、明日もいろんなことに納得できないままにパンを焼き、パンを売るのだ。