私の知っている戦争

kmiusawaさんに触発されて
私は1959年生まれ。戦争を知らない、こぉどぉもぉたちぃさぁぁぁ
しかし、現代の若者たちよりは戦争に近い存在であることに気づかされた。ウチの子どもたちは全く戦争のことを知らない。昔ガタリにも戦争の話を全く聴く機会もない。一方最近、戦争体験のあるお年寄りが今までは話したがらなかった体験を話し出すということを聞く。今までは言いたくなかった、胸のうちに秘めておきたかった事柄を、伝えておきたいという気持ちになっておられる。そういう方々の語りは聞くべきだと思いはじめている。子どもたちにも聞かせるべきだ。

で、亡き父の話をする。大正生まれの父は暗い話がキライなので、自分の戦争体験も茶化しつつするというのが常だった。戦地には行かなかったものの、軍隊には入ったのでその時の話を聞くことは何度かあった。上官にやたらとスリッパでなぐられた話。軍隊に入る前は食糧難だったが、入営するとご飯がおいしくて体重が増えたとのこと。身体検査で「体重の増えた者は前へ出ろ!」の声に素直に前へ出た父。他に体重の増えた者はいなかった。「軍隊にきて太るとは貴様なにを考えとる!」とスリッパでパンパンされたという話をおもしろおかしく話してくれた。今にして思うと、おもしろくもなんともなかったんだろうに…
そして父は双子の弟だった。まじめな長男の伯父。要領よしの父。軍隊でも伯父はトイレ掃除などまじめにやったらしいが、伯父がしているということで父はいつもサボっていたらしい。どっちか一人がやってれば二人ともやっているように見えたんだろう。
そして、伯父が休暇をもらって実家に帰る日が来た。父の休暇はまだだった。しかし上官の「双子なんだから、いっしょに帰してやれ」との配慮で二人そろって帰郷。その間に部隊の乗った輸送船は撃沈。もう少しで父も海底に沈んでいたとのこと。


いろんなことを冗談を交えつつ話してくれた。そのときは笑ってきいていた幼かった自分。だけど、今なら思う。面白い話じゃないよ。でも、そういうふうに茶化さないと話せないんだよね。もう少しで海底に沈んでいた父。もう少しでワタシの存在もなく、ワタシの子どもたちの存在もなかった…

昨日はNHKスペシャル「日中戦争」を見た。いろんな細かなことが重なり、歴史の軸は大きくかたむいていく。その検証をしないで靖国とかなんとか騒いでいるのは物事の順番が全くおかしい。誰しも、亡くなった人のことを悪く言ったり遺族の傷つくような行動はしたくない。順序正しく物事を処理していけば、亡くなった方々も安らかになるのではないかと思う。