discourさんから投げられた疑問

ゆうべ、会合というかミーティングでid:discourさんにいろいろと突っ込まれた。メールしようかな〜と思ったけど、せっかくブログ開設したんだから、ここに書こうっと!


まずでしね〜私の略歴
1659年生1959年生しくしく(瀬口典子さんと同じであることが判明!)
1981年就職→1985年結婚→1988年第1子出産→産休→職場復帰→1993年第2子出産→育児休業取得→1994年職場復帰→1996年いったん退職→同じ企業に契約社員として再雇用→現在にいたる。
(なんか、双六みたいになった!)


なんとなく子供が学校へ行くのがフツウのように仕事を続けていたけれど、けっこう大きなプロジェクトをまかされるようになったあたりと、育児の一番大変なときと重なり、家庭の中も荒れに荒れ(掃除してないとか、その程度。不和になったワケじゃなく)いたしかたなく、プロジェクト遂行とともに無計画に退職!
でも、それでは我が家の経済が成り立たない。両者の利害の共通点を見出し、やめた会社に契約社員として舞い戻る。で、今にいたっている。
子どもに取られる時間が少なくなっていくとともに、余ったエネルギーをPTAとか地域活動に振り分けていたりしてたのでありますが、discourさんに「それで不満はないのか!?」と突っ込まれた。


いわく、「それは社会の仕組みに不備がある。あなたがそういう道を選ばざるを得なかったことに不満はないの?そういう社会を変えようとは思わないの?」とのこと。
(だいたいそんな感じでしたよね?)
私がいつも、あまりにもオンナタチの問題に無頓着なので、discourさんにしたら、とっても理解しがたい状況のもよう…
自分のことだから鈍感なのか?それもあるけど、たぶんそういう大儀より目の前の現実問題の解決の方が緊急かつ重要なのであります。
社会を変えようと思ったら、5年10年でもカタがつくもんじゃありません。その間にお腹もすくし、子どもも成長する。車検も切れるし、我も連れ合いも老けていく…
あまり深く悩まずに、ちょちょちょいと3ヶ月程度で双六3コマ進めてみました〜というカンジでしょうか。


昨日のNPOのように、他人の問題(知的障害者)だとなぜかマジに考えて、やみくもに行動したりする。
でも、オンナの問題(それは自分のこと)は自分の中でどうでもヨシとなっている。あきらめなのか、達観なのか…
ものすごく具体的かつ直接的に差別があったりすると、「許せん!」という気持ちになると思う、たぶん。
ただ「社会の仕組み」みたいな漠然とした大きなもの相手には鈍感になっているんだろう。
で、そこんところがdiscourさんにしたら、「それでいいのか!」と喝をいれたくなるんだろうなぁ〜

って、これで回答になってますかね…